長崎観光 / 原爆資料館

あいにくの雨の中、佐賀/武雄温泉を後にして長崎市内に入ってきた。

まずは原爆資料館に行くことに。
今回初めて、原爆を体験されたボランティアの男性に30分だけ解説してもらいながら見学する。

1945(昭和20)年8月9日午前11時2分原子爆弾投下。

広島の原爆より長崎の方が爆弾の威力は大きかったが被害は広島より少なかった。それは長崎の地形が山に囲まれていたためだった。

解説して頂いた方のお歳は聞かなかったが20代で被爆され、この男性のご両親、弟、奥さんは皆助かってはいるものの、放射能の影響により、のちに皆ガンに侵されたと話してくれた。
私が長崎に初めて来たときも70歳くらいの女性が被爆した時の話をしてくれた。60年以上たった今でも苦しんでいる方がまだまだ沢山いるんだと実感させられた。
 

(写真は後日とったもの)

資料館の隣にある原爆落下地点へ (写真は晴れた日に撮ったもの)

ここは松山町にある爆心地です。この塔の上空約500mで爆弾がさく裂しました。

この碑のとなりには浦上天主堂の実際焼け残った建物がのこされています。
当時は爆心地から500mほど離れたところに建っていましたが、のちにここに移築されたそうです。

そばを流れる「下の川」には多くの被災者が水を求めて川を埋め尽くしたそうです。今、護岸は綺麗になり当時の石が川底に敷き詰められています。

また「下の川」のそば(写真、人が集まっているところ)には、原爆で破壊された家屋の瓦や、壊れた陶磁器の食器などが当時のまま、地層となって残されてます。

原爆があった日も当たり前に日が昇り、当たり前に生活をしていたのに、たった一発の爆弾で何万人もの命が一瞬で奪われた。実際こうして当時の生活一部だけど見ていると、これを使っていた人はどんな人だったのかな、などと考える。ここにはまだあの頃の空気が残されている。
長崎に来ることがあれば真っ先にここに来て欲しいと思う。

世界が平和でありますように

“長崎観光 / 原爆資料館” への 4 件のフィードバック

  1. 実は8月9日の長崎投下は第2目標だったんですね。第1目標は私の故郷の小倉だったそうで、今でも投下目標地点(元の陸軍造兵廠)だった小倉城のそばに身代わり原爆記念碑があります。天候が左右しての結果で、歴史にIFはありませんが、そうだったら親はお城の反対側に住んでいたので、たぶん今の私は存在してないということになりますね。

  2. 今回ガイドしてもらって第1投下目標が小倉だったことを知りました。あの時小倉の上空が晴れてたらと考えると怖い、運命の分かれ道という感じですよね。また原爆が落ちていたらきっと被害も大きかっただろうと書いてありました。
    家の近くに「三菱兵器住吉トンネル」という24時間魚雷を製造していたトンネルがあります(見学可)。原爆投下後は避難してきた人の応急手当てなどをしていたと言います。長崎に住んでみて原爆が身近に感じられます。平和公園を時々歩いて通る時は「長崎の鐘」に冥福を祈って水をかけるようにしています。

  3. RKさんのお父さんってことですよね?この前SKさんに、RKさんは原爆が落ちた日はどこにいたのか聞いたら、疎開してたって。みんな無事だったのかな。

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